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富士見塚 パノラマ展望図   ver.071115
富士見塚の由来

 往古の東路は足柄山をこえて、餘綾(ゆるぎ)の北端を経て秦野善波峠を過ぎ相模川・王川を渡り江戸に通じていた。
この街道を矢倉沢往還と言った。
富士見塚はこの矢倉沢往還の一里塚であったと思われる。
篠窪字榎の木の側にある。この地は海抜約250m程の丘陵にある。
源頼朝が治承4年(1180)に20年間の長い流人の生活から伊豆に旗をあげて、平家を滅ぼし、鎌倉に武家政治の基礎をきずいた。
頼朝は常に武士の士気をさかんにするために、富士の巻狩を催した。
そのころ頼朝は、この矢倉沢街道の榎の木に馬をとどめて、富士のすばらしい眺めを観賞したという。
将軍頼朝の心境はいかばかりであったろうか。
その風流の跡をしのんで今にいたるまで富士見塚と言い伝えられている。

 大井町
(現地の説明板より転載)



夕景:富士山の左方に雲が残ってしまったのが少し残念ですが、美しい夕焼けでした。
昼間は霞んで見えなかった天城山がシルエットになって現れました。
2007/01/10撮影

夜景:夏の夜景です。この日はあしがら花火大会があり、酒匂川・川音川合流点から打ち上げられました。夜景に花火を入れてパノラマにしてみようと思い、このシーンのみ季節が夏になっております。日曜の夜ということもあって、街灯りが少しすくない気もします。こんな遠くから花火を見るのは自分ぐらいであろうと思っていたところ、篠窪集落の方達でしょうか、20人ほどが集まっていました。俯瞰する花火もなかなかいいものですね。花火のスライドショーもご覧ください。2007/08/25撮影

< 篠窪峠 > 

大磯丘陵は余綾丘陵と呼ばれたらしく、その北端の鞍部が篠窪峠になります。今では直下を県道のトンネルが貫いており、峠の往来は静かなものですが、かつては主要道であったことが上記の案内板からも伺えます。
この峠道は富士山信仰の登拝の道であり、大山詣での道でもありました。また、ここで小田原道と分岐し、ダルマ市で有名な飯泉観音へと通じていました。
石碑は明治5年に寄進によって再建されたもので、信仰の厚さが伺えます。

<シーン>
赤富士:夜明け前に富士山の様子を自宅から確認するも、暗くて雲の様子はよくわからず、現地でいざ撮影となったときに富士山が雲で隠れてしまうなんて失敗が何度となくあります。富士山周辺に限らず、日の出側の空の雲に朝日が遮られても、赤富士にはなりません。2007/01/10撮影

昼景:南西方面の展望であるため、午後は逆光になってしまいます。夏の午前中が最適なのかもしれませんが、今回は冬の午前の撮影です。この時間帯であっても伊豆半島方面の露出がオーバー気味になってしまいます。2007/01/08撮影

参考文献 「かながわの峠」 植木知司 著 かもめ文庫
石碑のある場所から30mほど離れたところにある展望広場
NPO法人「しのくぼ」の方々が作られた広場です。
かながわの古道50選 矢倉沢往還の篠窪付近
冬の夜空 見上げるとクヌギの木立の間に星が瞬いていました。
あしがら花火大会のスライドショー
幻想的な仕上がりになりました。
「富志ち神」と刻まれた石碑

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