河村新城甲州へ続く河内川対岸の奥山家道への睨みと、西方の尾根上を通っていた御厨(みくりや)道を抑える要所に築かれた城です。 位置
|
見晴らしの良い山頂付近には携帯電話の基地局があります。21世紀の狼煙台とも言えますね。 |
空堀の窪地が作業道として使われている。 |
河村新城跡 新城は、小田原北条氏が甲駿国境に築造した重要な出城(境目の城)で、たびたび争奪戦が繰り返された城である。永禄十二年(1569)武田信玄の小田原攻めの際には、湯ノ沢城・足柄城など周辺の九城とともに落城した記録があるほか、天正九年(1581)には、武田勝頼の攻撃にもあっている。さらに天正十八年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めにあたっては、北条氏の江戸城代であった遠山左衛門尉景政(とおやまさえもんのじょうかげまさ)が守備していたところを、徳川家康配下の甲州勢が押し寄せ、雑兵三一人が討ち取られて落城し、その後廃城になったようである。 平成十四年三月 山北町教育委員会 現地説明版より転載 |
2
櫓臺を北側から
|
地図と照合すると2番目の空堀の上に築かれた道路といえます。 |
本城郭からの360°VR |
大手門の北側から360°VR |
見ようによっては細尾根を利用した土橋といえます。 |
舗装道路は終点ですが、道はさらに西へ続きます。 |
西の尾根を進み、北側の斜面を覗くと雛段状の地形がありました。当時の遺構なのか、後の時代の段々畑跡なのか... |
踏跡を辿り、西へ進むもヤブに覆われてしまい、尾根道は途絶えていました。 |
尾根道が途絶えている理由は北西部にある採石場が地形を一変させてしまったためで、物理的に御厨古道は消失しています。 |
地元でも知る人の少ない塩沢集落が垣間見えました。 |
Copyright (C) 2002-2016 KEIZUKOBO All Rights Reserved.