迅速測図  第三・第四相沢川橋梁付近

迅速測図

明治中期に測量された迅速測図に着色し、現在の御殿場線や東名高速の位置を書き加えてみた。
東海道本線(現御殿場線)の開業した明治22年以前の測量のため、線路は描かれておらず、路盤やトンネルの位置でその形状を知ることができる。
単線で開業した東海道本線は、現在の谷峨駅を過ぎると、鮎沢川(相沢川)の左岸(北側)に敷設され、相沢川第三橋梁付近で現ルートに戻ってくるのが見て取れる。
山北-小山(駿河小山)間が複線化されたのは開業から12年後の明治34年で、険しい地形のため複線分の幅員を確保できず、下り線は地図に示したとおり鮎沢川の右岸に敷設されたのであろう。

昭和18年には戦時下による鉄の供出の目的もあり単線化されるが、このとき廃止されたのは北側の旧上り線になる。
昭和43年の電化では、他の区間が廃止された旧上り線に新たに電化した線路を敷設したのに対し、この区間は南側の営業線路を工事したのである。旧上り線には既に国道246号が占有していたことがその一因と考えられる。谷峨-駿河小山間では、廃止となった橋脚やトンネルの遺構は「北側」に開業時の姿として残っているのは、このためである。

参考資料:山北町史資料 迅速測図

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