御殿場線に於いて複数のトラスで運用されているものは第3酒匂川橋梁のみである。沼津寄りのトラスは大正時代に製造されたものを改造してあり、その重厚な風貌は一見の価値がある。

現在までの生い立ちは少々複雑で、戦時下や災害といった諸事情から、橋桁が他線へ転出したり、または他線で使用されていたものを再利用するといった史実を有している。

現場へのアプローチは御殿場線の橋梁群の中でも最も困難なもののひとつであろう。第二酒匂川橋梁のたもとから酒匂川の河原を歩くことになるのだが、増水期にはとても近づけない。谷峨駅側の川岸には下りる場所さえ見つけられないでいる。

 


2011年秋の様子

台風などの増水のたびに流れが変わり、2011年秋に再訪してみると、護岸下まで水が迫り通行不可能となっていた。

奥から東名高速上り線、国道246号バイパス、JR御殿場線と現代でも交通の要衝であるのがわかる一コマ。


パノラマ撮影による第3酒匂川橋梁

異なる型式のトラスで構成されている。
左が国府津寄りの1967年製平行弦ワーレントラス。右が沼津寄りで1914年製を改造した曲弦プラットトラス。
ワーレン、プラットなどの呼称は考案者の名前(J.Warren、T.W.Pratt)に由来する。

歴史

1889年 94ft(28.6m)練鉄製ポニーワーレントラス+200ft(61.0m)ダブルワーレントラス各1連の単線で開業。

1901年 複線化に伴い、増設された上り線の国府津寄りには鋼鉄製ポニーワーレンが、沼津寄りの桁は上下線ともシュウェードラートラスで架橋された。

1916年 国府津寄りの練鉄製、鋼鉄製のポニーワーレントラスが、国産の98ft29.9m)トラスに架け替えられる。

1943年 単線化 上り線が廃止となる。撤去された桁は1953年頃に樽見鉄道揖斐川橋梁に転用される。

1967年 新型のワーレントラスに架け替えられる。おそらくこのときに廃止されていた旧上り線が復帰したと思われる。旧下り線は廃止となるも桁は存続したようだ。(旧上り線国府津寄りの桁に関しては不明。旧下り線のものを移設か?)

1972年 7月12日の集中豪雨により橋脚、橋台ともに流出、全ての桁が落橋した。8月9日、7連のプレートガーダーの仮設橋として復旧。

1973年5月 本復旧。元の位置にRC造の橋脚を施工し、落下したワーレントラスを改修たのち国府津寄りに架設。沼津寄りには東海道本線天竜川橋梁で廃線敷となった桁を使用。川幅を90mから120mへと国府津側に拡幅している。落橋した98ftの国産トラスは廃棄処分となった。


1958年の様子 *1)

米国製200ftシュウェードラートラス + 国産の98ftトラス

この時点では南側の旧下り線が使用されているのがわかる。新型トラスに架け替える場合、隣の廃線敷きを利用するのが施工上容易であると思われ、1967年の時点で再び旧上り線が使用されたと考えるのが自然だろう。




1972年の集中豪雨による被害 *2)

橋脚、橋台ともに流出し、橋桁は全て流された。


架設橋を徐行するロマンスカー *3)

架設の橋脚とプレードガーダー7連で仮復旧。背後に落下したトラスと橋脚が見える。


沼津寄りのトラスの銘版(左写真)

日本国有鉄道
1973 KS-18
TTR 862-5
滝上工業?半田工場

この橋桁は1914年製のもので、東海道本線天竜川橋梁の廃線となったうちのひとつを改造し再使用している。そのときに銘板も更新したようだ。


ディテール

古リベットの風合いに時代を感じる。本来はピン接合であったため、さらに歴史を感じることができたであろう。
移転するにあたり、リベット接合に改修された。


橋脚上に並ぶヒンジ

異なる設計のトラスであるためヒンジの高さも異なるが、橋脚天端の形状で調整してある。


旧・国道246号から

現在は国道246号バイパスに遮られ、撮影には向かない状況である。


撮影

現在の橋梁には南側に管理用の通路が取り付けられられているため、川下側近距離からの撮影は不向きである。一方の北側は国道246号が並走し「引き」で撮ることができない。
ここに掲載した写真は国道直下の護岸からの撮影であるが、川岸から崖を5,6m登ることになり危険である。
雑草も繁茂しており、夏に再訪したときにはヤブに行く手を阻まれ、諦めた経験がある。そしてそのヤブにいたのだろう、数多くのブヨにさされ、その後2週間はひどい状態に悩まされた。
秋はヤブが衰退するもののヤマダニに注意が必要だ。これにさされると半年以上かゆい。いずれにしても人が近づくべき場所ではないようだ。

トラス橋を渡る列車を撮るとき、そのタイミングが難しく、筆者のカメラの連写機能では対応しきれない。そのため手動による一発勝負となるのだが、なかなか満足のいく仕上がりとはならないでいる。


あさぎり4号


夏の第三酒匂川橋梁

崖に登るのは諦め、水際から撮影。28mm以下の広角レンズは必携だ。


あさぎり2号

紅葉と371系の組み合せも今後は撮ることができないショットとなった。



秋の第三酒匂川橋梁

川底に沈んでいるコンクリート塊は昔の橋脚跡だろうか? 位置から判断すると1972年の架設橋のものか?


渇水期の川床


箱根第三、四号トンネル



兵どもが夢の跡

第三酒匂川橋梁の谷峨駅側は距離を開けることなくトンネルと接続しており、鉄道模型の手本のようなロケーションとなっている。

左右並んだ上下線の橋台で天端の高さが異なっているのが見て取れる。おそらく梁せいの高い橋桁のため、現行線の橋台は削られたものと推測される。

写真左側のトンネルが開業当初のオリジナルで、12年後の複線化にともない右側の旧上り線を増設。戦時中に再度単線となった際は旧上り線が廃止となった。
左の旧下り線はおそらく1967年の橋梁架け替え時まで使用されていたと思われる。原形をとどめたポータル(擁壁)が非常に魅力的だ。

このトンネルは「箱根第3、4号トンネル」という変わった名称が付してある。元は3号、4号とそれぞれに独立したトンネルだったが、大正12年の関東大震災で3号4号間の谷が崩落。コンクリートで改修された際に1本のトンネルとしたため、現在のような統合した名称となった。地元では「サンシー」(三四)と呼んでいた。

終戦当時の逸話がある。その当時の国道246号線は道幅が狭く、そのため線路を歩く人が多かったという。他のトンネルは直線で容易に通行できたが、サンシーは途中でカーブしているために出口の明かりが届かず、恐くて歩けなかったという。


転載 :    *1) 「鐵道ファン第31巻第6号」交友社 p.71
 *2)*3) 「47・7 被災 -山北町の記録-」山北町企画室

 

 

 

 

 

 


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