直路山・梵天山 探索

 

目的

紅白鉄塔が聳える、梵天山と呼ばれるピークの探索が目的です。地理的に見ると梵天山は都夫良野から南東に延びる一筋の尾根の先端で、南北から沢に開析され、痩せ尾根でかろうじてつながっています。
痩せ尾根の都夫良野側のピークは「直路山」という字名が残っており、文字から想像するに都夫良野集落への近道を意味したと考えられます。往古は現在の国道246号のように酒匂川沿いを通るのではなく、山間部を奥山家(おくやまが)古道、富士道(ふじみち)が通っていました。酒匂川の氾濫を考えると、山間部を通行した方が安全だったといえます。

地図参照(別窓で表示します)

 

01 梵天山への取り付き

都夫良野(つぶらの)集落へ通じる町道に取り付きがあります。
写真は取り付きを登り始めた地点から振り返って。

 

02 水源の森林づくり契約地の看板

03 比較的歩きやすい山道

04 整備された森林

後で判明したのですが、県の水源林整備事業が施行中であったため、真新しい作業道が出来ていました。こういったマニアックな山は今や、森林整備事業が施工されたか送電鉄塔の巡視路でもないかぎり、通行困難な状態になっています。

05 直路山-梵天山分岐

痩せ尾根が梵天山へと続いています。ここで直路山へ寄り道。

直路山にある送電鉄塔西相模線 No.4

No.4鉄塔 詳細>>

取り付き

06 水源の森林づくり契約地の看板

地図中にある「線下」とは送電線下という意味。森林の管轄が東電ということなのでしょう。

石碑

07 梵天山へ

このまま山頂へ順調にと期待していたのですが...

08 生い茂るススキの群落
 
目の前に鉄塔はあるものの、2mを超えるススキの群落に行く手を遮られてしまいました。こちら側かのアプローチを断念。

09 東側に迂回して

東側に巡視路があるかもしれないと考え、迂回してみました。
結論から言うと先ほどの西側からのルートの方が正しかったようです。
いずれにしても、鉄塔、巡視路ともに、しばらく草刈りがされていないようでした。密生した背丈を超えるススキを目の当たりにして諦めかけましたが、結局ヤブ漕ぎ実行。鉄塔直下もひどい状態でした。

送電鉄塔西相模線 No.5

山頂は山北町が「梵天山城郭遺構」として発掘した経緯があります。

No5鉄塔 詳細 >>

梵天山山頂石碑
(出典:山北町史史料編 原始・古代・中世 p500)

今回の探訪では背丈を超えるススキのため、発見できませんでした。
草の枯れた季節や線下の草刈りが行われた後なら、山頂一帯を観察できると思います。

出土した和鏡
(出典:山北町史史料編 原始・古代・中世 p480)

更に古い時代に行われた昭和5年の発掘で和鏡五面、鍔(つば)、目抜、古銭、太刀破片類が出土したとあります。

10 足柄平野と相模湾

間伐され、整備されたばかりの水源林。時折見晴しの良い場所がありました。

11 森林整備事業

業務名 平成20年度 山北水源林整備事業(吾妻山ほか)
場 所 足柄上郡山北町山北地内
工 期 平成20年7月16日から 平成20年12月23日まで
発注者 神奈川県足柄上地域県政総合センター水源の森林推進課
請負社 山北町森林組合

再訪して

2009年3月に再訪してみると、森林整備事業の一環なのか、山頂は草刈りが行われ、信じられないほど歩きやすい状態でした。鉄塔の南西5mほどのところに山北町史に記された石碑を見付けましたが、倒れた状態でした。

平山地区とNo.6号鉄塔を俯瞰

今回は南側が俯瞰できました。
草刈りが行われ道が明瞭になっていたため、更に東へ下ってみました。しかし、ほどなく間伐作業された広場となり、その先はわからなくなってしまいました。強引に下れば、東に流れる鍛冶屋敷沢か南を通る旧246の山留工の崖だろうと想像し、とても道が続いているとは思えず今回も引き返すことにしました。

 

 
地図参照

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