クハ115-22
撮影 1983.09.11 国府津駅
形式:クハ115
自重:29.8t 換算:積3.5 空3.0
定員:116人
製造:昭和38年 日本車輛 全検:昭和55年7月大船工場
雨樋が乗務員扉上部までない初期型で、通風器は全て同一タイプ。
また、300番台以降に採用されたユニット窓と異なり、埋込式の窓は額縁がなく、四隅にアールが施された優美な印象を与えていた。
1989.07.01.廃車 *1)
モハ114-819
撮影 1983.09.11 国府津駅
形式:モハ114
自重:36.7t 換算:積4.5 空3.5
定員:128人
製造:昭和42年 東京 汽車会社 全検:昭和55年6月大船工場
中央本線用にパンタの部分のみを低屋根としたタイプは800番台で区別された。これは身延線のトンネルの条件とも合致したため、配属されることとなった。
1989.07.01.廃車 *1)
モハ115-95
撮影 1983.09.11 国府津駅
形式:モハ115
自重:37.4t 換算:積4.5 空3.5
定員:128人
製造:昭和42年 東京 汽車会社 全検:昭和55年6月大船工場
1984.01.07.幡生工場にてクモハ115-511へ改造 *1)
当時、自分でフイルム現像したため、現像ムラが生じてしまった。今思えば、何てリスキーな行為をと悔やまれるのだが、115系をその程度の価値にしか捉えていない時代でもあったのである。
クハ115-21
撮影 1983.09.11 国府津駅
形式:クハ115
自重:29.8t 換算:積3.5 空3.0
定員:116人
製造:昭和38年 日本車輛 全検:昭和57年8月大船工場
1995.01.01.廃車 *1)
115系 N2編成
115系 N2編成
東山北-山北間にて
連結部
当時は貫通扉は使用されずに運行していたようだ。
右はクハ115-41。他にさきがけて前照灯がシールドビームに改造されており、当時はこちらのほうが珍しい存在であった。
*1) 引用:「115系形式写真集」さん