さよなら羽幌線

- 国鉄羽幌線営業最終日(その2) -

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824D

824D 10:20 苫前駅到着

プラットホームが低い仕様だったことが見て取れる。



苫前 とままえ


臨時列車「さようなら羽幌号」は羽幌駅で上下の列車が交換するダイヤになっていた。
上下の列車を別アングルで駅間撮影の計画していたため、移動時間と効率を考え、ひとつ隣の苫前駅を目的地とした。

苫前駅へ近づいた頃に車窓からロケハンし、適当なカーブを見付けた。駅から4〜500mの距離といったところだろうか。ここで羽幌号の上下列車を狙うことにした。


苫前駅

駅ではお別れ式の準備が行われていた

ごくろうさま国鉄羽幌線!

ごくろうさま国鉄羽幌線!

苫前駅お別れ式 3月29日午前11時10分


苫前の牧場

北海道らしい景色が拡がる苫前の牧場

車窓からロケハンし撮影場所に決定した地点までは、直接行ける道がなく、途中から線路脇を歩いて行った。下り列車を狙える位置の手前には深さ10mぐらいの谷があり、この間は線路敷きを歩き、12:00頃に無事到着。
そこは、牧草地の一角で、サイロがある北海道らしい風景が拡がっていた。

下り「さようなら羽幌号」が苫前駅に入線

下り「さようなら羽幌号」が苫前駅に入線

11:26 苫前駅に到着。日本海からの冷たい強風のため、聴き取りづらかったが、ブラスバンドによる「蛍の光」が演奏されていたのが判った。
11:31、5秒ほどの長い警笛(タイフォン)を鳴らし、さようなら羽幌号は出発した。


苫前パノラマ撮影

苫前パノラマ撮影

GoogleMapストリートビューを参照すると、2014年8月現在は苫前駅のあった敷地は郷土資料館に変わっていた。
しかし、いくつかの建物は当時のままの姿で残っているようだ。
北海道の風景を構成する上で欠かせない「サイロ」が現在は消失していることは誠に残念でならない。
牧草の貯蔵方法が、ロール状に梱包する技術に取って代わられたため、サイロは無用なのだという。
時代の流れとはいえ、何とも言えない寂しさを覚える。


苫前小学校

2014年8月の様子 苫前小学校

体育館の塗色こそ異なるが、当時のままの姿を見せている。

GoogleMapストリートビューより

駅前のレンガ造の倉庫

駅前のレンガ造の倉庫

パノラマ写真の右端に写る建物である。
屋根にあった大きな通風器が撤去されてはいるが、建物自体は健在のようだ。鉄道が物流の主役だったころの風景遺産と言えよう。


下り「さようなら羽幌号」

下り「さようなら羽幌号」

下り「さようなら羽幌号」

先頭車はキハ27-126

急行型気動車キハ58系は、キハ40と比べ車体寸法に大差はないが、片運転台のため客室窓が多く配置でき、スマートな印象を与えていた。


下り「さようなら羽幌号」

急行型を含んだ7輛の超大編成で満員の客を乗せ駆け抜けて行った。

下り「さようなら羽幌号」

編成を写真から判断するに、キハ22 + キハ56 + キハ40 + キハ56 + キハ27 + キハ56 + キハ27-126(先頭車)
キハ27とキハ56は同じように見えるが、エンジンの搭載数の違いから、車体側面の給油口の数で区別出来る。


上り「さようなら羽幌号」

上り「さようなら羽幌号」

7輛編成の「さようなら羽幌号」は上下の列車が羽幌駅で離合するダイヤになっていた。下りが通過して50分後の13:20頃、上りの羽幌号が牧場脇の雪原を苫前駅へ向かって駆け抜けていった。

 上り「さようなら羽幌号」

上り「さようなら羽幌号」

編成を写真から判断すると、キハ56-146(最後尾) + キハ27-108 + キハ53 + キハ40 + キハ22-129 + キハ56 + キハ22-119(先頭車)である。
中間には両運転台のキハ53-500番台が含まれているのも確認出来る。
このように形式の混成が容易だった点がDCの利点でもあった。

上り「さようなら羽幌号」

苫前駅に停車中の上り「さようなら羽幌号」

帰宅後に描いた現地マップ

帰宅後に描いた現地マップ


キタキツネも見送りに

キタキツネも見送りに

下り普通列車 幌延行 823D

下り普通列車 幌延行 823D

苫前駅に戻り、下り列車を見送る。
おそらく キハ22-142 + キハ22-321 の2輛編成。


下り普通列車 823D  苫前12:51発

下り普通列車 823D  苫前12:51発

にこやかに微笑む車掌さん。どんな思いで乗務されていたのだろう。




古丹別 こたんべつ


苫前駅ではその後、14:26発の326Dまで苫前駅で1時間半待つこととなったが、何をしていたのか記録も記憶も残っていない。
おそらくは駅待合室で仮眠を取っていたのだろう。

326Dは古丹別で下り列車との交換で15分ほど停車。その間に車外へ出て撮影したものである。

古丹別

キハ22を正面から

今では考えられないアングルだが、なんともゆるい時代であったことも伺える。


古丹別

古丹別駅に停車中の826D

826D キハ22-208 + キハ40-231

826D キハ22-208 + キハ40-231


2014年8月の様子

2014年8月の様子

GoogleMap ストリートビューより

古丹別駅の跡地はアスファルト舗装された道路に生まれ変わっていた。
駅前にあったレンガ造の倉庫だけが、往時を偲ばせてくれる。


日本海沿岸を行く

日本海沿岸を行く

羽幌線 路線図

国鉄羽幌線位置図


826D 車内の様子

826D 車内の様子

私にとって羽幌線はたった一度だけ乗車した路線であり、格別な思いがあるわけでもなかった。
30年近く経った今、当時のメモや写真を再構成してみたのだが、高性能のフイルムスキャナーやネットという技術革新により、再発見することも多かった。
廃線となった後に、どれだけの遺構として残るのだろうかという疑問から、ストリートビューで現在の様子と比較してみて驚愕した。予備知識がなければ、そこに鉄道が敷かれていた事実がほとんど読み取れないのである。また、同時に酪農や農業の衰退が風景にも反映していた。
町の玄関でありシンボルでもあった駅が、今やバスの停留所や公園に生まれ変わっている。
良く言えば、社会の変化に順応する住民の努力と逞しさの現れであるが、一方で、薄情なくらい上書きされてしまう景色に、いたたまれない寂しさを覚えたのは私だけだろうか。たった一度だけ訪れた地ではあるが、今では不思議な愛着を感じている。
そう、そこには羽幌線という鉄道が確かに走っていたのである。なお、道内に拡がっていった赤字ローカル線の中で、ここは国鉄運営下最後の廃止路線でもあった。

2015年3月 記

青春18きっぷ

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