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飯田線探訪

- 佐久間レールパーク -

 1991年8月25日(日)

EF58牽引のトロッコファミリー号を撮影した後は、駅に隣接する佐久間レールパークを訪れた。
1991年6月にオープンした佐久間レールパークには飯田線関連以外の車輌も静態保存され、開園時は12輌が展示されていた

2018年現在、これらの車輌の多くはリニア・鉄道館で展示されている。(クモハ12054、クモエ21800、クヤ165-1、オハフ33 115は廃車解体)

開園当初は車輌の数も少なく、空間に余裕があったため形式写真撮影には都合が良かったと状態があった。小雨の降るような天気は形式写真撮影には好条件で、コントラストの低い画像が得られ、足廻りのディテールまで捉えることができた。

帰路も青春18きっぷを利用して、豊橋へ出たのだろうが、写真が一枚もなく、どうやって帰ったのかその記憶がない・・・。

佐久間レールパーク開園当初のリーフレット

佐久間レールパーク開園当初のリーフレット

 

佐久間レールパーク開園当初のリーフレット

同リーフレット裏面


クモハ52004

クモハ52004

クモハ52004

クモハ52は全5輌が製造され、昭和11年製造の001・002は客席窓がボックス席当たり2枚で構成された細窓タイプで、翌年製造の2次車、003〜005は1枚の広窓として登場した。
飯田線ではクモハ52は晩年に活躍し、引退後は豊川工場に保存されていた。ここでは当時のスカ色で展示されたが、その後のリニア・鉄道館では戦前のクリーム地にマルーン帯の塗色に変更され、前照灯などディテールも当初のものに復元されている。

私はこの車輌が現役で飯田線を走行している光景は目にしていないが、様々な雑誌から得た「記憶」はこのカラーリングと、このスタイルであり、本物を目の当たりにした時は感慨深いものがあった。

クモハ52004 4位側

4位側

クモハ52004図面

クモハ52図面

当初、雨樋は前照灯へ繋がる低い位置にあり、また縦樋は運転台ドアの後ろだったことが伺える。


クモハ52004

クモハ52004正面

1930年代は工業デザイン界に世界的なブームとして流線形が席巻した時代であった。それは我が国にも波及し、満鉄の「あじあ号」などに出現している。クモハ52もその時代に登場した車輌で、一見の価値はあろう。

クモハ52004

前部側面

鋼板の叩き出しで見事に造形していることを再認識したい。
技術的に平面ガラスしか作れなかった時代に流線形にまとめ上げたデザインは、当時の設計者の情熱を垣間見た気がする。

クモハ52004 DT-12A

DT12-A 台車

DT-12Aはいち早く軸受けにベアリング機構を採用した先進技術の台車であった。
このことからも、当時のこの車輌の格式が伺える。

クモハ52004

台車ディテール

軸箱にはベアリングメーカーのNSKがレリーフされている。

クモハ52004

車両形式表記 クモハ52004

 

クモハ52004

別角度から全景を

クモハ52004

妻面の検査表記

検査表記は昭和52年2月の浜松工場のままとなっている。


クモハ52004車内

クモハ52004室内

1993年に再訪すると、車内の見学も可能な状態となっていた。
木造の床と蛍光灯に扇風機という天井は私にとっては鉄道車輌の原風景である。

クモハ52004車内

3位側のシート

足元には心憎いパターンの金網が施されていた。


クモハ52004車内

2位側のシート

 

クモハ52運転台

運転台

 


クモハ12054

クモハ12054

クモハ12054

モハ31074として昭和6年に製造された17m車で、戦後に形式統一でモハ11246となる。
昭和34年の両運転台化改造の際に、クモハ12050〜へ形式変更された。

クモハ12054

4位側

鶴見線で活躍していたクモハ12052・053と同形式である。こちら側が増設された運転台で、客室を繋いでいた貫通扉はそのまま残された。


クモハ12054

前部側面

原型を留めているが、乗降ドアの窓はHゴム化されている。本来は側面窓と同様、2枚のガラスで構成されていた。

鶴見線のクモハ12が無線アンテナやATC車上子、客室窓には転落防止柵が設けられたのに対し、静岡運転所で事業用に運用されていたため、より原型に近い状態であったが、2009年のレールパーク閉園に伴い解体された。

DT11

台車ディテール

台車形式はDT11

こちらはより古いタイプの台車で、イコライザーという文字どおり釣合梁という弓形部材が特徴である。
板バネで受けた荷重は下揺れ枕へ、揺れ枕吊りにより台車枠側梁へ上向きに伝えられ、二つのコイルばねを経て再び下方向の釣合梁に伝えられる。そして、この釣合梁で受けた荷重は左右の軸箱へ分散される。その後登場したDT-12等に比べ、応力の伝達部材が一段階多いことになる。

クモハ12054図面

クモハ12054図面


クエ21800

クモエ21800

クモエ21800

昭和5年にモハ31055として製造され、その後クモハ11231を経て、救援車クモエ21008と改造。昭和50年に低屋根化され800番台に改番された。

クモエ21800図面

クモエ21800図面

 




ED11 2

ED11 2

 

ED18 2

ED18 2

EDを冠する動輪4軸の機関車であるが、荷重分散のため3軸ボギー x2の6輪であることが見て取れる。

 一度は当園で展示されたが、その後飯田線をイベント列車、トロッコファミリー号として走行した。


ED62 14

ED62 14

 


オハ35 2329

オハ35 2329

 

オハ35206

オハ35 206

 


オロネ10 27

オロネ10 27

 

オロネ10 27 台車

オロネ10 27 台車

 


オハフ33 115

オハフ33 115

 

オハフ33 115 車内

オハフ33 115 客室

 


マイネ40 7

マイネ40 7

 

マイネ40 7 台車

マイネ40 7 台車TR40

軸受け両脇にコイルばねを装着したウィングばね式台車の先駆けで、このタイプは101系電車などに引き継がれていく。

マイネ40 7 の寝台

マイネ40 7 の寝台

 


スニ30 95

スニ30 95

 3位側

スニ30 95

スニ30 95

4位側


オヤ31 12

オヤ31 12

建築限界測定車 
いわゆる花魁列車である。展示時は来園者の安全を図り、下部の検測器は折りたたまれていた。

ソ180 + チキ6132

ソ180 + チキ6132

1993年に再訪したときに撮影。開園当初に比べ、車輌の密度が高くなり、形式写真の撮影は難しくなってしまった。


クハ111-1 車内

クハ111-1 車内

1993年再訪時にはクハ111-1が展示されていた。