長峰山
長峰山は安曇野市のJR篠ノ井線明科駅の背後に聳える標高933mの山で、山頂まで車で行くことができるため、気軽に北アルプス、安曇野のパノラマを楽しむことができます。
南方2kmの光城山(ひかるじょうやま)を含んだ山域一帯が地元NPO団体の活動で里山再生を目指したハイキングコースとして整備されています。
この山頂広場から南東へ0.5kmのところには「天平の森」という宿泊施設があり、食堂や無料休憩室、入浴は宿泊客以外でも利用できます。アルプスを眺めながらの風呂は格別です。
安曇野市
安曇野市は豊科町、穂高町、三郷村、堀金村、明科町が合併し2005年に誕生しました。安曇野市を含めたこの平野一帯は安曇野と呼ばれ、秋から春にかけての冷え込んだ朝は安曇野という文字が連想させるように霧が発生します。ただし安曇野という呼称の語源は古代に北部九州で繁栄したアマツミ族にあるとされ、方言や風習に名残があると言われます。
北アルプス
ため息がでるほど雄大なパノラマが広がっています。長峰山の位置からは北アルプス南部の山々が間近にあり、中でも常念岳と有明山は安曇野のシンボル的存在となっています。常念岳の由来は坂上田村麻呂がこの地に遠征した際に、重臣である常念坊がこの山へ逃げ込んだという逸話に基づき、初夏には常念坊の雪形が浮かび上ります。
有明山は信濃富士とも呼ばれ、長峰山のある豊科方面から見た山容は美しい台形を呈し、その呼称に納得されることと思います。
河川
大町方面から流れてくる高瀬川、上高地を源流とする犀川(さいがわ)、有明山東麓を流れる穂高川の大きな三本の河川が眼下で合流する様子が見て取れます。
♪槍で別れた梓と高瀬 めぐり合うのが 押野崎♪
と信州民謡「安曇節」の一節にも歌われています。
合流した犀川は生坂村の狭隘な谷を蛇行し、長野市で千曲川に合流します。早朝、大町の鷹狩山からパノラマ撮影を何度かしたとき、生坂村の犀川付近は決まって雲海に覆われていました。安曇野の霧の生まれる場所なのだと思われます。
御宝田池(ごほうでんいけ)
三本の河川が合流する扇の要となる地点に遊水池が見えると思います。以前の地形図には載っていなかったため、近年整備されたものと思われます。
長峰山から双眼鏡で観察していると、水面を何かがうごめいているのを見つけました。その後現地を訪れてみると、一帯は公園として整備された遊水池で、水鳥たちの楽園となっていました。
ここは御宝田池と呼ばれ、冬期にはコハクチョウが飛来します。
撮影日 快晴 :2010.05.01
夜景 :2009.11.04
モルゲンロート:2009.11.05
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操作方法
画面のスクロールはドラッグすることで上下左右に移動します。左右方向は数秒間、ドラッグの移動の速さが影響し、やがて元のゆっくりしたスピードに戻ります。スクロールを停止するにはダブルクリックするか、ドラッグを静かに停止するこで出来ます。
鎮守の森
安曇野を一望したとき水田に島状に点在するこんもりとした森が目に留まります。同定してみると、それらのほとんどが神社であることが判明しました。昔からこの土地だけは村の鎮守として、社叢とともに保たれてきた歴史があります。
昼景
安曇野の桜の開花は東京より一ヶ月ほど遅く、ゴールデンウィークがちょうど見頃となっていました。平野では水田に水がはられ、空を映す鏡のような光景が現れます。
夜景
日中は目立つことのなかった千国街道(国道147号)が夜間は南北を結ぶ光の筋となって現れます。また平行して走る道路にも近年、大型量販店が開業したようで、非常に明るい照明を放っています。夜景を撮影したのは11月と、登山のシーズンは過ぎていましたが、燕山荘や北穂高小屋の灯りが見えます。
モルゲンロート
条件が良ければ、日の出前の北アルプスがピンク色に染まるのを目にすることができます。刻々とその色彩は変化してしまうため、二十数枚で構成されたパノラマ写真の技術が試されるシーンでもあります。
山頂での思い出
夜景撮影のため、夕刻、再び長峰山に登ることにしたのですが、山頂広場のベンチには先客がいたため、その近くで定点撮影している旨を伝え、三脚を据える許しをもらいました。
その先客2名は撮影を目的としたのではなく、なんと尺八を奏でに来ているとのことでした。一人はドイツから尺八を学びに来日したという女性で、師匠の日本人男性は50歳ぐらいの感じの良い人でした。ここ長峰山のような景色の良いところで練習するのを楽しみとされているそうです。
雄大なアルプスを眺めながら、尺八の生演奏を拝聴できるとは、なんとも贅沢で夢のようなひとときでした。
参考文献
「里山とともに」特定非営利活動法人 森倶楽部21
ウィキペディア 「常念岳」「安曇野市」
更新履歴
2010.07.18 UP
2011.04.10注記追加
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