威張山〜水之尾〜風祭



 威張山(いはりやま)から御小屋(おこや)を経て、水之尾経由、風祭駅を目指しています。この尾根は小田原城の背後に続いているため、付近には歴史的遺構が多くあります。

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(写真下の数字は地図の番号と対応しています。)

 


24 御小屋の二本杉

上水之尾用水溜池の説明板にあった御小屋の二本杉だと思います。


25 送電鉄塔 真鶴線No.19


小田原漁港と小田原ブルーウェイブリッジを遠望


入生田付近のパノラマ(クリックで拡大)

手前から2番目の送電鉄塔の左後の尾根は丸塚と呼ばれ、城郭遺構です。この付近は小田原城に近いこともあって石垣山一夜城をはじめ、いくつもの城・砦跡があります。いずれ正確なパノラマ図を作成したいと思っています。


27 威張山林道(起点)

先ほどの林道は 威張山(いはりやま)林道と呼ぶそうです。


28 荻窪用水(桜田隧道入口)

 


29 山縣水道水源池説明板

 

山縣水道水源地

(所在地) 小田原市風祭六三二番地
(海 抜) 約九十三メートル

 これは、わが国近代史に大きな影響を与えた明治の元老山縣有朋が、晩年を送った別荘古稀庵(板橋八二七番地)のための水道の水源池として造ったものです。
 明治四十二年(一九〇九年)にできあがり、老公自身が設計した庭園等に活用され、後には近くの益田邸、閑院宮邸などの飲料水にも用いられました。
 個人用水道としては、大規模で、しかも早い時期の水道施設として上下水道史上でも注目されている施設です。
 荻窪用水を分水して、直径二十六メートル、深さ四メートルの池で、一、三〇〇トンの水を沈殿させ、鋳鉄の管で一、八六〇メートル先の古稀庵(海抜三十三メートル)まで送水していました。
 山縣公は、この水を愛しながら政治や茶会を楽しみ、大正1十一年(一九二二年)古稀庵で亡くなりました。
   飛び去ると見れば又来てやり水の
       岩根はなれぬ庭たたきかな(山縣公の歌)

小田原市教育委員会


30 山縣水道水源池

 

 人里まで下りてくると、エアリアはあまり役立たなくなってしまいます。途中、地元の人に風祭駅までの道を尋ねながら歩いて行きました。大雄山最乗寺を出て9時間あまり、そろそろ足も限界です。カメラのカードもフルになり、風祭駅へ出て帰宅しました。

 

撮影:2008年5月6日

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