塔ノ峰〜威張山



 明神ヶ岳のパノラマ撮影が目的であったのに、思いつきで行き先を変更したため、予備知識がありません。久野林道から再び登山道への分岐点へ。そこから塔ノ峰は15分と道標に記されていました。
さて、塔ノ峰とはどんなところだろう? とワクワク感を携えて山頂へ。

結論をいいますと山頂は見晴しがなく少々がっかりです。明星ヶ岳側へ少し戻った所が杉・桧林が伐採されたばかりで良い眺めが得られます。また、この一帯は塔ノ峰城の遺構があるため、注意深く観察するとなかなか面白いと思います。初回の探訪ではこれらの遺構に気付かなかったため、翌年、資料を準備してから再訪しました。



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(写真下の数字は地図の番号と対応しています。)

 


15 山頂の道標

< 明星ヶ岳 115分     水之尾 60分 >
   阿弥陀寺 30分  塔ノ沢 45分 >


16 現地説明版

塔の峰(とうのみね)(566M)

西インドの阿育(あしょか)大王が仏舎利(釈尊の遺骨)を安置した宝塔の一つが、この山の中腹、阿弥陀寺の岩屋で見つかったといわれ、この山を塔ノ峰といいます。山頂には小田原北条氏の出城の跡が見られます。

現地説明版より転載


塔の峰城要図 日本城郭体系6 p.487より

塔ノ峰に城があったと知ったのは現地を訪れてのことでした。予め資料を用意しておかなかったため遺構とは気付かずに通り過ぎてしまい、2009年9月に再訪し、上図に記されている遺構があるか調べてみました。


16-A 土塁跡

久野林道から塔ノ峰への分岐。この付近の台地が土塁跡とのことです。


16-B 石積・転石

土塁跡から南へ下った斜面には巨石が見て取れました。人工的なものなのか自然のものなのか私には判断できませんが、資料に「石積」と記載されている場所がこのあたりになります。


16-C 転石

付近には10〜30cmの石もありました。

 


塔ノ峰山頂 360°の様子 >>

この山頂から三方向へ道が分岐している様子がわかると思います。


16-D 水之尾尾根の坂虎口(さかこぐち)跡

道がクランク状に折れ曲がり見通しがきかなく出来ています。

 


16-E 水之尾尾根の石積・転石

もともと石の多い場所なのかもしれませんが、これらの石が使われていたことは充分考えられます。


16-F 山頂の主郭手前の段差

写真では判りづらいため、傾斜の様子を書き加えました。

なお、塔ノ峰城に関しては八丁堀さんのサイト「土の古城探訪」に手書きの俯瞰図が掲載されており、参考になりました。
http://www.geocities.jp/shyonan_aki64/tounomine.htm

 


水之尾尾根の鍋曲輪の様子360° >>

「関八州古戦録」の「小早川隆景軍え異見事」に記載されている鍋曲輪(なべくるわ)。外部からの視認できない凹状地形を利用した戦術上有用な曲輪といわれます。


17 三等三角点「牛臥山」

風雨のためか周囲の土が削りとられ、基礎がむき出しになっていました。国土地理院のサイトによると、現在観測は停止されているようで改測となっています。

 


18 水之尾へ

塔ノ峰から分岐するルートでおそらくあまり歩いた人がいないであろう、水ノ尾へ進みました。途中、ボロボロな廃車がありました。よくこんなところまで登ってきたものだと感心。
エアリアにはこの先に好展望とありますが、樹木が育ったのでしょうか、該当する場所がありませんでした。


19 林道に出る

地図を確認すると久野林道から塔ノ峰へ分岐した地点(写真13)に写っているゲートのある林道と繋がっていることがわかります。塔ノ峰の北側を巻くようにあります。


20 林道を

歩くのが楽な一方、単調な風景。


21 林道ゲート

これから先の林道は車両通行止めです。 
神奈川県西湘地区県政総合センター


22 上水之尾用水溜池

エアリアに水道施設と記されている付近にあります。

 


23 上水之尾用水溜池 説明板

上水之尾用水溜池

 この溜池は、上水之尾用水の源である。この地に溜池を設け山腹をぬって水を引き、高台の上水之尾に水田を開いたのは、享和(きょうわ)年間のことで、大久保藩の藩費によって行われたと伝えられている。
 享和は元年(一八一〇年)から四年までの短い期間であった。
今から、一八〇年余り前のことである。享和二年(一八〇二年)は荻窪用水が完成して、それまで水に乏しかった荻窪村が一変した年である。この、うなぎ沢の水も利用していた荻窪村に水の余裕が生じたので、上水之尾に水田を開くことが可能になったのであろう。うなぎ沢上流のここ二股窪に貯水池を設け、上水之尾地区に二ヘクタールたらずの水田を開き、十数戸の農家を支えることが出来た。なお、この付近一帯は、昔、大久保藩の直轄地で、威張山(いはりやま)と呼ばれ狩などによって藩士が武を練った所といわれている。藩主の休憩にあてられた小屋があったのでこの付近の地名を御小屋(おこや)という。これより東方三〇〇メートルにある樹齢二〇〇年(推定)をこえる二本の杉の大木は、御小屋の二本杉と呼ばれている。
 平成元年、小田原市によって溜池が修復され同時に、辻村植物公園に分水して、流れや池を設ける工事が行われた。

 平成元年三月吉日
    上水之尾自治会

現地説明版より転載

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