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伊豆箱根鉄道  大雄山線

- コデ165 -

筆者の地元にありながらも殆ど利用したことのない伊豆箱根鉄道大雄山線であったが、ある日、 大雄山(だいゆうざん) 駅から乗車する機会があり、駅構内に留置中のコデ165を見つけた。
コデの存在は知ってはいたが、普段は建屋の中で見ることが出来ないものと想定していた。
ところが鶴見線のクモハ12を想起させる葡萄色の車輌が目の前に存在するのである。しかも台車は最も古いタイプのDT10であった。
筆者は旧型国電を追い求めて日本全国を巡ってきたのであるが、文字通り灯台下暗しであったことを反省した。
この日はグループによる行動で撮影時間がなかったのであるが、後日 大雄山駅を再訪し無事に撮影することができた。

 

2021年4月 記

大雄山駅に留置中のコデ165

大雄山駅に留置中のコデ165

 

 

モハ30形

モハ30形

コデ165は車籍上は、昭和3(1928)年にモハ30166として誕生した車輌である。 戦前のことで国鉄以前の鐵道省の管轄であったことから、「国電」ならぬ「省電」の愛称で呼ばれていた。

生憎、手元にこの当時のモハ30形の写真資料がなく、「国電全百科 小学館」よりイラストを引用した。

欧米の客車の流れを汲む二重屋根が特徴で、明かり取りのための小窓が上部屋根との段差に設けられていた。

コデ165の種車のモハ30166も誕生当初はイラストのような風貌をしていたものと考えられる。

モハ31形から改造した鶴見線のクモハ12053

モハ31形から改造した鶴見線のクモハ12053

旧型国電の特徴でもある6連の主抵抗器を備えた車輌


モハ30形及びモハ31形の電動車は重量と強度の問題からか全長17mで設計されたグループである。

鶴見線で活躍したクモハ12形は前身がモハ31形で、こちらは当初から屋根が一重の丸屋根で誕生した車輌ではあるが、モハ30形の実写を思い描くための手掛かりとして掲載した次第である。

さて、コデ165の車歴であるが、途中に車体振替という事象を抱えたため少々複雑な内容になっている。


次の表に示した車歴は書類上のもので、車体の物質的な存在状況としては昭和51年までしか遡ることができない。(白太字で示した範囲)
しかしながら、まずは車籍に従い詳細に見ていくことにする。

車歴 - クハ2510 -
落成 昭和03/1928年 モハ30166
改造昭和23/1948年 ?モハ30166
改番昭和24/1949年クハ38108
改番昭和28/1953年クハ16156
譲渡 ↓相模鉄道
改造昭和35/1960年クハ2510
車体振替昭和51/1976年モハ2024
譲渡 ↓伊豆箱根鉄道
改番昭和51/1976年モハ165
改造平成09/1997年コデ165
 〜2021年現在 

昭和3年製造のモハ30166は戦中戦後の酷使により不可動車に陥っていた。そこで、電装解除されることにより昭和24年10月に形式番号がクハ38108に変更され現役に復活する。

電装解除の時期が24年10月以前であるとすれば、短期間ではあったがモハ30166という形式番号で存在したことになる。
電装解除された車輌は形式変更せずに、モハとクを小書きで表示していた。省電で最初のクモハ形式であったと言える。
残念ながら、手元に詳細な資料がないため、あくまで推測の域は出ない。
電装解除に伴い、電動車として使用していた再利用可能な機器は他の車輌へ部品供出されていった。

次に、改番されたクハ38108についてである。
クハ38とは昭和5(1930)年に制御車として誕生した丸屋根で17m車のモハ31系で、電装解除されたモハ30形はクハ38050〜として編入されることになった。108という番号からもその車輌数の多さが見て取れる。

昭和28年には車輌形式称号規程改正によりクハ16156に改番された。
クハ38のうち、屋根の形状が二重屋根で台車がDT10を履いたものをクハ16100〜、DT11のものはクハ16150〜と付番された。このことから当車輌の台車はDT11であったことが伺える。

赤電カラーの5001F編成とコデ165

赤電カラーの5001F編成とコデ165

DT11台車 クモハ12052

DT11台車 クモハ12052

昭和35年、相模鉄道に譲渡される。その際に形態統一工事が行われ、クハ2510として運用されることとなる。
この改造で車体はアコモ化され、種車の部材はほぼ消失したと考えられる。部材が継承されたとしても、台枠(床下のフレーム)程度であろう。

昭和51年に今度は伊豆箱根鉄道へ譲渡されるが、このとき車体振替が行われた。
車体振替とは旧型車の廃車手続きを経ずに、他の車輌を改造名義で導入するもので、かつての私鉄では多く実行されたという。
今回の事例では、相模鉄道のクハ2510の改造名義でモハ2024を伊豆箱根鉄道に譲渡し、モハ165に改番したこととなる。書類上は種車はモハ30116であるが、実際は全く別の車輌ということになる。


車歴 - モハ2024 -
落成 昭和 2/1927年 デハ73345
改番昭和 3/1928年モハ30145
改番昭和28/1953年モハ11043
更新修繕〜昭和31/1956年クモハ11109
譲渡昭和35/1960年相模鉄道
改造 ↓モハ2024
車体振替昭和51/1976年クハ2510
譲渡 ↓伊豆箱根鉄道
改番昭和51/1976年クハ187
改造平成 8/1996年廃車

コデ165の車輌を物質的に辿ると白太字の車歴となる。
 

DT10台車 クモハ12041

DT10台車 クモハ12041

当初の設計である平軸受で運用されていたクモハ12041のDT10台車


さて、そうなると、振替相手の相鉄モハ2024の車歴が気になってくる。

相模鉄道モハ2024の車歴を遡っていくと、モハ30166よりも更に古い昭和2年製造のデハ73345であることが判明した。この車輌の容姿も先述のイラストの内容で大差ないものと思われる。

デハ73というこの見慣れない形式は昭和元年から製造された鉄道省デハ73200形のグループで、昭和3年10月1日付けで施行された車輌形式称号規程改正により改番されたモハ30系の旧車輌形式のことである。一年という短期間ではあったが、省電黎明期に存在した形式であった。

そして、昭和3年の改番でモハ30145となり、戦後も活躍していた。

昭和28年、種車のモハ30形が二重屋根かつDT10形台車を履いたものはモハ11000〜11060へと編入され、当車輌はこの範疇となり、モハ11043と形式番号が付与される。

その後、更新修繕により難燃化や丸屋根改造が昭和31年までに施工され、クモハ11109へと改番された。

昭和35年には相模鉄道へ譲渡され、2000系に編入。この際に行われた形態統一改造に伴い、種車の痕跡は消失したとされる。

昭和51年、伊豆箱根鉄道に譲渡されるが、このとき相鉄クハ2510と車体振替が行われた。電動制御車でありながら、車籍上は制御車(国鉄でいうクモハからクハ)として登録されたことになり、物質的な車体自体は、電動制御車のままの伊豆箱根鉄道モハ165として継承されることになる(クモハからクモハ)。
筆者はこの車体振替の理由を解明できていない。電装解除された経歴を持つクハ2510がクハ187へ、モハ2024がモハ165へ改番されることが自然の流れだと考えるためである。

さて、話を車歴に戻すと、モハ165はその後、伊豆箱根鉄道大雄山線で1996年までの20年間という長きにわたり、旅客運用車輌として活躍していた。
翌1997年、事業用車として転向するため両運転台化等の改造が行われ、コデ165へと生まれ変わることになる。
そして、出番は少ないものの今なお現役である。

複雑な経歴のコデ165であるが、車体の物質的な存在状況としては少なくとも1960年アコモ化のモハ2024までは遡ることが出来そうである。


形式写真

コデ165 2位側

コデ165 2位側

大雄山駅に留置中のコデ165を後日撮影。
車体にウィンドウ・シルとヘッダー(窓上下の補強材)は残るもののリベット接合ではない。先述の通り相鉄時代にアコモ化されたことが伺える。

3箇所あった客室の乗降扉は中央の一枚を残し埋め殺しになっている。ヘッダーはかつての扉の形状で保持され、シルは直線的に施工されているが、大雄山線を走行していたモハ165の頃の面影は充分に残っている。

コデ165 4位側

コデ165 4位側

こちら側の運転台が1997年に増設されたものである。

あくまで私見であるが、廃車になった他の車輌からの移植であることも考えられる。運転台を新造した場合、前面のシルとヘッダーに構造的な意味を見出せないためである。
屋根上の通風機は全て廃止され、床下機器も旧型国電の配置とは異なっている。
前照灯はシールドビーム化されてはいるものの、筐体が維持されていることは有り難い。

コデ165 1位側

コデ165 1位側

1−3位側の床下機器も観察したい思いから5000系甲種回送を撮影することにした。

期待していたのは旧型国電の電動車の特徴である6連の主抵抗器のまとった姿である。
ところが、目の当たりにしたのは、見慣れない白いガードパイプや異なるタイプの抵抗器が装着された状況であった。


ディテール

コデ165のDT10形台車

コデ165のDT10形台車

台車の形状はDT10であり、これは国電(省電も含め)で最古のタイプとして大正8(1919)年に誕生した台車である。
鶴見線を走行していた昭和4年製のクモハ12052でさえも台車は一世代後のDT11であった。

DT10及びDT11形台車の特徴はイコライザーと呼ばれる弓形をした水平梁にあり、ここに大型のコイルばねが載る構造で、後継のDT12とは形状が大きく異なる。

ところで、本来のDT10の軸受けは単純な平軸受であり、コデ165の台車はベアリングタイプのコロ軸受に改造されたことが読み取れる。ちなみに、軸箱にレリーフされたNSKとはベアリングメーカーの日本精工のことである。

コデ165のDT10形台車

DT10形台車を別角度から

台車にローラーベアリングが採用されるのは2世代後のDT12-Aからである。つまりベアリング機構を備えたDT10は国電には存在しなかったのだ。
このベアリング付きDT10は他サイト様の相鉄時代の写真からも読み取れるため、形態統一改造時に施工されたものと考えられる。

一方で、14-9Aとペイントされた台車枠側梁の頑強な造りはオリジナルの設計仕様である 。昭和2年製のデハ73345まで遡ることが出来るかは判断できないが、非常に古い仕様を保持している。リベット接合の台枠は現代の施工方法では逆に困難で、部品を新調する場合には他の工法に置き換えるものと考えられるからである。

廃車となった他の車輌からの供出である可能性は高いものの、貴重な資料であることに変わりはない。

主抵抗器

主抵抗器

旧型国電に見られた線路に並行な方向に6連で並ぶ抵抗器を期待したが、異なる配列と仕様になっていた。 古い写真から判断するとモハ151形の時代からすでにこのスタイルだったようだ。

大雄山線 モハ151形 クハ187 + モハ166 + モハ165

モハ151形 クハ187 + モハ166 + モハ165

写真の一番奥の車輌がモハ165で後の時代にコデ165となる車輌である。手前のクハ187は相鉄モハ2024と車体振替された元クハ2510。
屋根にはガーランド形ベンチレーターが配置されていたことが見て取れる。

電装解除されつつもDT11形台車を履いていたクハ16156であるが、クハ187となった当時はDT10に変更されていたことも読み取れる。

撮影:1992年7月 小田原駅

甲種輸送5000系を牽引するコデ16

甲種輸送5000系を牽引するコデ165

麗らかな春の足柄路を吊り掛け式モーター音を響かせてコデ165が牽く回送列車が駆け抜けていった。

撮影:2021年03月31日 穴部 - 飯田岡

以上、コデ165の歴史を探ってみたわけであるが、結論としては車体の物質的継承は相鉄時代のモハ2024まで遡ったところが限界であった。
一方で足周りのDT10形台車は、状態の良い他の車輌からの転用であると思われるが、部品の一部は開発された大正末期まで辿ることが出来るかもしれない。もともとDT10を装着した旧型国電は少なく、大変貴重な資料であることに相違ない。

古い車輌ではテセウスの船のように、何処までが本来の部材であるのか判断することは難しい。 ただ、コデ165には、形状を復元し博物館で静態保存された車輌とは異なる、まさしく現役としての魅力がある。
形状を1960年まで辿れるだけでも充分に古い車歴であり、吊り掛け式モーター音を響かせる走行シーンは一見の価値があるといえよう。