クモハ40

クモハ40054 3位側
職員輸送用にクモハ40やクモユニ74が国府津電車区と国府津駅を行き来していた。
厳密に言えば、電車区までは御殿場線の側線を走行するため、御殿場線ではないわけだが、今となっては貴重な資料であり、このカテゴリーに掲載することとした。
また、当時は荷物電車が営業していた時代でもあり、関連写真も併せて載せることにした。
撮影から40年後、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」に登場します。
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クモハ40054 2位側 クリックで拡大
国府津電車区との職員輸送に使用されていた電車は、国府津駅4番線の小田原寄りへ停車する日常風景があった。

国府津電車区に留置中のクモハ40054
形式:クモハ40
自重:40.2t 換算:積5.5 空4.5
製造:昭和10年 田中車輛
全検:昭和54年10月大船工場
南コツ 定員:128人
これを撮影するために下曽我駅から国府津まで歩き、車体番号等は双眼鏡で読み取った記憶がある。
1981年5月25日 国府津電車区
クモユニ74

国府津電車区との職員輸送に使用されていたクモユニ74
クモユニ74005他
国府津駅にて
荷物電車が営業していた当時は、東海道線で一日撮影していれば必ず収めることができた列車である。
旧形国電を追っていた私には格下の車輛として映っていたが、とりあえずは記録しておくべきとシャッターを切ったのであった。
国府津電車区との職員輸送用に使用されていたため、国府津駅での停車時間は数十秒と短く、形式写真を撮るまでの余裕はなかったと記憶している。
クモユニ74の0番台と200番台の見分け方を当時は前照灯の大きさで判断していたのだが、今調べていると、改造の経緯が複雑で、話はそう単純ではなさそうである。
結局のところ空気管が両サイドにあるものが200番台と判断することが最も明解な方法といえるだろう。

クモユニ74 0番台
荷物電車として貨物線を走行していた。
2組のパンタが搭載されていたクモユニ74は、2輌編成で運行する場合、それぞれの名古屋寄りのパンタを上げていたことが見て取れる。

クモユニ74 200番台
高崎・東北本線用に設計された200番台はスノープローを装備した車輛もあったようだ。車番の判読が確実ではないが、クモユニ74213に見える。前照灯が大型であることから211〜213のいずれかであることは間違いない。

貨物線を行く荷電
クモユニ74200他
クモユニ74202他
国府津駅にて

根府川、白糸川橋梁を行くクモユニ74
カラー写真で撮影したものをいくつか掲載。
当時はさほど珍しい存在ではなく、本命待ちのついでに撮るといった程度の価値に思えていた。
1981年秋 根府川駅付近

クモユニ74213(前)+ クモユニ74205
クモユニ74の200番台は80系電車のほか115系とも併結できるよ設計であった。クモユニ74211〜213の3輛はクモユニ74101〜103からの改造であった〜103ため、前照灯が原形のものとなり他と区別できる。
1984年3月 湯河原-熱海間

クモユニ74205
左写真のケツ撃ち。
高崎・東北本線用に設計された200番台にはスノープローが装備されていたようだ。

クモユニ74 200番台
113系普通列車との併結運転も行われていた。
1981年5月17日 富士駅

クモユニ74002
この時代の主要駅にはテルハという荷物専用の跨線型エレベーターが設置されていた。 富士駅では静岡寄りの端に設置されており、荷物電車もこの付近に停車し、荷物の積み下ろしをしていた。
1981年5月17日 富士駅
クモヤ90

クモヤ90009
クモヤ90は車両基地内での入換や、回送時の牽引車・控車などに当てられた車輛で、0番台は36輛がモハ72形より改造された。009号車は1946年にモハ72039として製造され、1967年にクモヤ90として生まれ変わった。
両運転台となり妻部に旧形国電の面影はないが、側面は往時の姿をとどめていた。
写真を詳細に観察すると、この車輛では4つのドアのうちオリジナルのものは2枚であることが見て取れる。足回りに至っては全般検査直後なのか、非常にきれいな状態で記録することができた。
しかし今思えば、この旧性能車輛を牽引機として使用して大丈夫だったのだろうか?
また、背景から小田原の駅前にデパートがあった時代であることも伺える。
1984年 小田原駅

小田急の荷電 デニ1300
荷物電車つながりで小田急の荷電、デニ1300形を。
1984年3月 小田原駅にて