<< PREV 函館 〜 札幌
昭和61年12月31日 その1
遠軽 駅
石北本線下り時刻表 1987年1月号
国鉄 石北本線・名寄本線・湧網線路線図
札幌22:30発の急行
大
雪
に乗車する。急行大雪は寝台車2輌、座席指定席1輌、座席自由席車が2輌の5輌編成で、当然我々貧乏学生は自由席座席車への乗車となる。
札幌駅ではその自由席座席車の席取りに並んでいたため撮影はできていない。
14系座席車はリクライニングシートなので、睡眠を取るにはボックス席よりは多少楽ではあるが、連日の座席の車中泊は体にこたえた。
旭川までは急行利尻と同様にED76-500番台が牽引していた。
03:46に我々の下車駅、遠軽に到着。遠軽では方向転換するため、DD51の機回しが行われた。
夜行急行 大雪 編成表
急行大雪は北海道の最高峰大雪山にちなんだ名称である。
最盛期は昭和55(1980)年ごろで、その当時は札幌-網走間を1日に5往復もの運用があった。
そのうち客車で運行していたのは深夜帯を走っていた9号・10号のみで、他の列車は気動車によるものであった。
その後、気動車で運用されていた列車は特急オホーツクへ格上げ、または廃止となり、深夜帯運行の寝台客車のみが大雪として存続した。
機回し中の急行大雪
札幌を出て石北本線を通る列車は、ここ遠軽駅でスイッチバックし網走へ向かうことになる。 写真の手前側の車輌2輌が14系寝台車である。
DD51 1094
旅客用のDD51である。
DD51には蒸気発生装置が非搭載の800・1800番台があり、筆者の地元付近で目にするのは専らこれら貨物用のものであったため、客車用のDD51を目にするのは貴重であった。
発車を待つ夜行急行 大 雪
発車する急行大雪
ビーム光線効果を狙った作例。 フイルム撮影の時代は夜間撮影がうまく出来ているか否かは帰宅後に現像するまで確認ができなかった。 感度も低く、15秒以上の露光で撮影した。
2016年再訪の遠軽駅
29年後の再訪時に同一地点での撮影を目論んだが、中線にキハが停留していたため少し南側からの撮影となった。 すでに客車による優等列車は廃止されていたため、特急オホーツクで収めてみた。
網走へ向かう急行大雪
凍てつく夜空の下、網走へ夜汽車は去っていった。
2016年再訪の同地点
フイルム撮影では水銀灯が光源の被写体は緑色が強くなり、独特の雰囲気を醸し出していたわけであるが、デジタルとなった現在は光源の種類もLEDをはじめ様々で、仕上がりの雰囲気も大きく異なる。
えんがる 遠軽 ENGARU
石北本線はここ遠軽駅でスイッチバックする。
駅西側に迫る山
それまで空だと思っていた空間が、暗闇に目が慣れてくると、すぐ近くまで山が迫っていることに気づき驚いた記憶がある。
遠軽機関区
駅西側の広い敷地には転車台と扇形機関庫が残っていた。
機関庫も現役だったようで庫内に明かりが灯っているのが見てとれる。
ラッセル車などの前後転換に重宝されていたのだろう。
「今日は15度だ」という二人の作業員の会話が聴こえた。
もちろんマイナス15°Cのことである。
当時は今ほど防寒着の性能が良くはなく、過酷な気候に体力が奪われた。
転車台のみが残る旧遠軽機関区
2016年2月に再訪したときの様子である。
転車台は残っていたものの使用されている形跡はなく、機関庫は撤去され背後の山肌が露呈していた。
現在は光源のナトリウム灯やLED灯により実際は赤みを帯びた夜景であるが、色温度を調整し敢えて30年前のフイルム撮影の雰囲気を再現してみた。
瞰 望 岩 と
遠軽の地名はアイヌ語のイシガル(見晴らしの良い所)に由来する。 駅の南西に聳える瞰望岩は遠軽のシンボルである。初訪のときは予備知識がなく、その存在すら知らなかったため瞰望岩は撮影できずにいた。
遠軽駅入場券(硬券)
昭和61年の大晦日であった。
記念きっぷ 61.11 ダイヤ改正スタート記念
印字された内容は以下の通りで、まだ普通列車の増発があったことを示している。
旭川〜北見・網走新型車両導入記念
61.11 ダイヤ改正スタート記念
留辺蘂〜北見〜網走普通列車増発記念
記念きっぷ 道北観光地記念入場券
太陽の丘えんがる公園 1986.10 旭川鉄道管理局
瞰望岩 1986.10 旭川鉄道管理局
名寄本線 上り 時刻表
624D 遠軽発05:32発に乗車し、次の目的地、名寄本線湧別支線へ向かう。
622D 遠軽発名寄行き キハ22 138 他
写真は遠軽を04:33始発の名寄行き普通列車である。 このように北海道には夜行列車から連絡する普通列車が運用されており、独特な鉄道文化があったといえる。
当時は写真の左奥の方向へ名寄本線が続いていた。 路線名に「本線」が付されていたため、廃線になることはないだろうと油断していたところ、果たしてその2年後の1989年5月に廃線となってしまった。
キハ22
キハ20系気動車のうち酷寒地仕様の型式がキハ22形で、暖地用のキハ20形が客用乗降扉が中央寄りに配置されていたのに対し、キハ22は車端に設置され、客室窓も小型になったことが特徴に挙げられる。
これらは専ら寒地対策で、客室と扉の間にデッキが設けられ、窓は2重になっていた。
撮影時はちょうどキハ40へと入れ替えが進められていた期間で、車体側面の裾が絞られたキハ40との区別は容易である。
項目 | 値 | |
---|---|---|
定員 | 座席数 | セミクロスシート 71 |
立席数 | 10 | |
主要寸法 | 最大長(mm) | 20,000 |
最大幅(mm) | 2,928 | |
最大高(mm) | 3,935 | |
台車中心間距離(mm) | 13,800 | |
自重(t) | 32.0 | |
動力機関 | 形式 | DMH17C |
連続定格出力(ps)/ 回転数(rpm) | 180/1,500 | |
台数 | 1 | |
最高運転速度(km/h) | 95 | |
台車 | 形式 | DT22C,TR51A |
軸間距離 | 2,100 | |
枕ばね | コイルばね | |
軸ばね | コイルばね | |
車体 | 運転台 | 両側 |
暖房装置 | 温水 | |
便所 | 和式 1 | |
付属装置 | 冷却水容量(ℓ) | 352 |
燃料タンク容量(ℓ) | 400 | |
便所用水タンク容量(ℓ) | 550 | |
製造 | 初年度 | 1958 |
輛数 | 170 |
石北貨物 DF200プッシュ・プル
2016年2月撮影。かつては名寄本線がさらに奥へと続いていた。