〜 梨子平 〜
30 ツツジの花

葉っぱがないので、ミツバツツジでしょうか。

32 3基目の鉄塔

ますます気になります。後で調べることにしました。

31 

またありました。2基目の鉄塔

33 3基目の鉄塔を振り返って

ある幅で草地が広がっています。冬に麓から見たとき、雪形のような模様ができるのが、この場所なのかもしれません。今度の冬に検証したいと思います。

34 4基目の鉄塔

気づいた限りでは全部で4基ありました。

(その後に発見できた鉄塔もあり、索道施設跡より上部には7基あるようです。)

35 クサボケの花

頓挫した明神ヶ岳へのリフト敷設計画

その後いろいろと図書館で調べてみました。しかし、文献の中からはそれらしい記事は見つかりませんでした(副産物はけっこうGETできましたが)。諦めきれず、南足柄市郷土資料館へも足を運びました。しかし、館内の展示内容はもっと古い時代のものが中心でした。ダメもとで、職員の方に尋ねてみたところ、なんと存じてる方がいらっしゃるではないですか。運がいい!
口頭の内容であるのと私の記憶の不確実さから、どこまで正確なのかは曖昧ですが、要約すると
今から三十数年前に、山麓へ、やたらとヘリコプターが行き来することがあった。
小涌園などを運営するF観光株式会社が最乗寺から明神ヶ岳、宮城野を結ぶロープウェイ設置のため資材運搬をしているらしい。
勾配の緩やかな場所の建設は完了したが、山頂付近の急勾配な箇所は断念した。
よって一度も使われることはなかったが、鉄塔はそのまま放置された。
資料館の地図に誤って表示され、訂正したことがある。
というような内容でした。

考察するに、鉄塔の高さと張り出しの寸法からしてゴンドラは無理があるので、リフトであった可能性が大きいといえます。測量技術の発達した時代なので、急勾配が原因で中断したというのは疑問が残りますが、難工事であったことは容易に想像され、そのことが経済的に影響したのかもしれません。登山道脇にあったバケット型リフトの索道施設跡もこの工事に関係した設備であった可能性があります。土砂やセメントの運搬をしていたのなら、辻褄が合いそうです。
完成することなく放置された。そのため地図や文献に載ることもなかったのでしょう。百年前のことは歴史になっても、三・四十年前のことは埋もれてしまうという事例のひとつといえます。

余談になりますが、Yahoo!の地図には鉄塔が表示されています。

また、この登山道は「県道723号(関本・小涌谷線)」として指定されています。過去には道路整備の請願書が幾度となく出されています。

翌年、Bazuさんのサイト「足柄縣」が開設され、そこに詳細が記されています。同じような事に興味のある人がいるとは...

36 梨子平付近

遠方の三角の山が大山。その手前の水平な山は松田山。

南足柄市郷土資料館

丸太の森の隣にあります。
2009年夏より有料になりました。大人200円、小中学生100円。

 

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初夏の風景

写真右下の鉄塔が明神線No.42

積雪時の風景

明神水〜梨子平付近は草地のため、雪形となって目立ちます。

初夏の風景(超望遠撮影)

リフトの鉄塔が写っています。

積雪時の風景(超望遠撮影)

同じ場所の冬景色。郷土資料館の職員の方が子供の頃にスキーをしに、明神ヶ岳の山腹へ登ったという話をしてくれましたが、それは、この辺りのことなのかもしれません。

追加画像
足柄平野から見た明神ヶ岳とその登山道

3基目の鉄塔
2基目の鉄塔
6基目の鉄塔 (明神水付近の鉄塔)
7基目の鉄塔
 GoogleMap等に大きな四角型で掲載されています。
雨量測候所のアンテナ
想定される山頂駅の位置
明神水のある谷筋
天気のよい早朝、麓から望遠撮影したところ、4基の鉄塔が確認できました。


明神水付近の鉄塔(6基目の鉄塔)

リフト跡は山頂付近では再び登山道から離れてしまいます。神明水付近では尾根の上にあります。落葉した季節でないと発見できないかもしれません。

林の中の鉄塔(3-1鉄塔)

ページ冒頭の三基目と四基目の間にありました。

足柄林道権現沢付近から

最乗寺の奥の院と山頂を結ぶルート。途中で足柄林道を横断します。その足柄林道からの遠望です。


追加画像2

 


追加画像 リフトの始点

その後、始点が何処なのかを探索してみました。google mapの航空写真を参考にあたりを付け歩くこと数分、意外と苦もなく発見できました。


追加画像 リフト始点のアンカー

場所は二十二丁目茶屋の下から分岐する明星林道が大雄川を跨ぐ手前で川に沿って上流側へ進み、次の木製の橋を渡って、少し歩くと山側へ道があります。その道へ入って間もなくです。


植樹されていない線下

リフトの敷地は植樹されていません。この状態を上空から見ると一本の筋となって現れます。ただし線下はヤブが繁茂し、歩行困難な状況でした。線下を踏破するのは諦め、森林作業道と思われる道を辿ることにしました。


深い森の中で遭遇した鉄塔

作業道はしだいにリフトの筋とは離れ、ひとつ東の尾根に向かい始めました。途中、どこかに地図を落してしまったようで、現在地が分らなくなってしまいましたが、ひたすら登っていけばやがて林道に出るだろうと考え進みました。どれくらい歩いたでしょうか、突然鉄塔が現れました。


同鉄塔

建っている場所が谷底に近いため、勾配を一定にするため高さが必要だったようです。


大神平の尾根へ

先ほどの巨大鉄塔を過ぎたあたりから作業道はアオキ、ササ類が茂りいよいよ歩行困難になってきました。数年間誰も歩いていないような状態になってきたため、西側の尾根の背にトラバースすることに。すると、見覚えのある道が。最乗寺の鐘や法螺貝の音も聞こえます。


足柄林道の上を通るリフト跡

話はずっと標高の高い場所へ移って...足柄林道

前回は気付かず通り過ぎてしまった頭上のリフトのケーブル。あらかじめ地図で調べてみると、足柄林道の頭上を通っているはずです。頭上の風景も気にしながら歩いてみると、たしかに存在してました。

探索:2009年9月

 

新たな発見事項として、南足柄郷土資料館に展示されていた「大雄山最乗寺境内交通名所御図絵」という鳥瞰図にロープウェイが描かれていたことがあります。この絵図は吉田初三郎という鳥瞰図絵師の描いた、今でいう観光マップが昭和5年に刊行されたもので、当時からロープウェイの計画があったことを伺い知ることができます。絵図には仁王門手前あたりを始発とし、最乗寺前では城郭風の中継駅として記され、明神嶽山頂が終点となっています。また明神嶽の駅からは別のロープウェイが宮城野と結んで描かれています。
現在のリフト跡とは直接関係ないものですが、戦前に既に構想されていたことに興味が湧きます。
興味のある方は是非郷土資料館を尋ねてみてください。

   

 

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